相良明男博士 l 核融合科学研究所 今週の顔

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今週の顔

青春立志編(助走、運命の日、そして大誤算)

 信州・小県郡・滋野村・字桜井、千曲川のほとりで生を受ける。野を走り川を泳ぎ地にもぐり成長。縄文の昔から人が暮らした土地で、畑を歩けば矢じりが拾え、水たまりに投げ入れられた薄茶の土器片には教科書で見慣れたいくつもの文様。アルプスと浅間山を望む小学校で、生涯の師に出会い、発掘調査や鉱物収集などで探求心を養っていただいた。近所の物置に忍び込み、部品を探して真空管ラジオを作り、雪の日には倒木の秘密基地でアムンゼンを読みふける少年であった。
 中学では朝昼夕バスケットボールで体力を養い、文武両道質実剛健の上田高校に進む。厳寒の信州で意地になって下駄だけで過ごす中、レコード鑑賞部の部室でマーラーの「巨人」に耳を傾けつつ、人類を救う道は何かと考える。そして高3の1969年10月30日、運命の日を迎える。朝日新聞で旧プラズマ研究所長の伏見康治先生が書かれた核融合についての記事を読み、「人類を救うにはエネルギー問題の解決が一番である」と確信し、この研究所のある名古屋大学に行こうと決めた。当時、東京に出て行くのが当たり前の上田で、「名古屋に行く」というのは「都落ちする」というのと同じで、合格しても誰も誉めてくれなかった。が、青年は意気揚々と名古屋に旅立つ18歳の春であった。
 しかし、入学2日目のガイダンスで、プラズマ研究所で勉強したいと発言すると、「研究所に関われるのは博士課程に入ってからです」と言われ、呆然とする。いきなり、6年をどう過ごそう・・・という問題が生じた。人生最初の大誤算であった。で、まあ、あまり勉強もせず、混声合唱を経て、自ら大学内に「劇団パン」を創立。団員延べ50人を以て10年で休止状態になり今に至っているが(あくまで休止である)、存分な青春時代を謳歌した。近隣の大学からも分野個性の様々な仲間を得るなど(ちなみに妻ともここで出会った)、それなりに充実した6年であった。そして、そこそこに勉学にも励み、博士課程にもなんとか進み、晴れて旧プラズマ研究所に入り込み、今日の核融合研究所に至ることが出来たのであった。

「私の仕事」と遙かなるライバル

 核融合炉設計が今の最大の仕事です。研究所から夜空を見上げれば満天の星。このどこかに必ず、宇宙人はいる。彼らも同じように空を見上げ、同じように地上に太陽を作ろうとしているはず。間違いない。アンドロメダ星人には負けたくない。地球が核融合発電で丸く輝く日が私の夢です。
 さて、そのためには具体的にどうしたらいいか、と言うところから研究に入るわけですが、例えばキャンプでお湯を沸かすのとよく似ています。簡単にはバーナーで木をあぶって、熱くなって燃え出せばバーナーは消しても木は燃え続けます。そこで木を追加すれば、多少湿っていても熱くなってまた燃え続けます。入れすぎると冷えて消えてしまうし、燃えかすもかき出す必要があります。上手く燃やし続ければその熱でお湯が沸かせて、いろいろなことに使えます。
 さて、地上に太陽、となるとエネルギーを出す手順はキャンプと同じですが、使う入れ物や道具に最新技術が必要で、エネルギーも野球の剛速球のような形で四方八方に飛び出してくるのでキャッチャーミットみたいな物で受けて熱にしてから使う必要があります。となると、ミットもそのうち傷んでくるので修理や交換の必要があります。そもそもミットの材料にも最新の研究が必要です。その上、費用が掛かりすぎるようだと魅力も半減します。と言うことで、この先数十年後に使えるであろう科学技術を予想して、安全で、魅力ある核融合炉を設計しつつ、しかも今後何をどうすればもっと良くなるかを見えるようにするのが炉設計研究です。とても一人では出来ないので、国内・国外の色々な分野の研究者と共同研究しながら進めていくことが特に大事です。アンドロメダ星人もきっと同じ事をやっているでしょう。間違いない。
(記:2006年4月14日(金))

趣味と夢

自転車

若い頃は自ら組み立てた愛車ロシナンテ号で研究所に通ったものですが、地球に頭突きして入院して以来家族から禁止されたままです。だから今は水上の・・・を物色中。

オートキャンプ

まだオートキャンプ場などほとんど無い時代から、ぼろ車にテントを積んで家内と滞在型旅行に出ていました。単に金がなかったせいでもありますが。

庭火

たき火ですが、庭の落ち葉が最高なので、あえて庭火と言いたい。火を燃やす技術は核融合炉の原点です。どんな場所でも天候でも火をおこす自信があります。「庭火屋」という職業を考え、家々を回って庭火をして歩くことを夢見たこともあります。

干物作り

明石の干物を食して以来、せっせとサンマ、イカ、アジ、などを開いては干すのです。塩加減と風がポイント。近頃は家内がはまってしまって・・・。

オーディオ

最近、ヤマハのNS-1000Mを手に入れた! 真空管アンプをまた手作りして、秘密基地でブラームスと浪曲を聴くのが夢です。

自転車 庭火 干物作り

 

 

編集後記

学生のとき、先生の研究室をたずねると先生はいろんな話をしてくださいました。先生の話は時に理解できたり、理解できなかったりでしたが、いつも先生から「知」のエッセンスをたくさんもらい興奮しながら帰ったことを覚えています。今回、相良先生にインタビューしながら、私は、そんな学生の頃に戻っていました。先生は、少年の頃の話、なぜ核融合の研究に進んだのか、そして現在の先生のお仕事の話と、たくさんのお話をしてくださいましたが、いちばん心に残ったのは「僕は、いつも真面目に想像しているんだ」という先生の言葉です。それは、言い換えれば「真面目に夢をみろよ」と言われているようでした。夢を語る年齢を過ぎてしまうと、自分の夢を茶化したり、夢を語ることも恥ずかしくなってしまいます。「真面目に」という言葉に、私は「夢」を「夢」で終わらせることで逃げてきたんじゃないか、とハッとさせられました。今回のインタビューの中でそういう気づきがたくさんあったのです。
 先生はご自分の仕事を「斥候(せっこう:敵地の様子を探る兵士)のようだ」と言われました。先生の場合、敵地ではなく30年後の未来へいき、偵察し、現在に伝えているのだ、と。核融合発電が夢物語から現実のものとなってきたとはいえ、発電までまだ時間を要します。先生のお仕事は核融合炉の設計ですから、いわば現在より未来を見据えることになります。未来と現在を行きつ、戻りつしながら核融合発電の実現にむけて「真面目に想像」の羽根を伸ばされているのです。その設計図を宝物みたいに見せてくださった先生のお顔が、少年のようで印象的でした。また先生のお話を聞きたいな、そんなふうに心躍らせながら、広報室まで帰ってきた今週の顔でした。
追記:詳しくは話せませんが先生の研究室は秘密の仕掛けがいっぱいです。皆さんも、先生の研究室に行かれてみてはいかがでしょう。(フフフ)ちえこ