森一久資料室


森一久資料室開設にあたって

森一久氏は広島に落とされた原爆で家族を失い、本人も被爆されたが九死に一生をえた。その後京都大学理学部の湯川研究室に所属し1948年に卒業した。卒業後は原子力の平和利用、特に原子力発電において湯川秀樹先生のご協力をえて活躍した。

日本は唯一の原爆被爆国であり、また自らも被爆者として、森氏は人類が原子力とどう向き合うべきかを真摯に考え、かつ実践した。原子力産業会議(原産)の発足当初から参加し、事務局長を経て最後は副会長を務めた。その生涯を通して、日本のみならず国際的にも活動の場を広げ、原子力の平和利用に一生を捧げた。 原子力産業会議の要職にあり政界や財界に囲まれながらも、森氏は原子力の安全な平和利用を目指して、節を曲げず初心を貫き通した。原子力の平和利用の理想像求めて、批判意見には耳を傾け、原子力ムラの体質に抗して苦言を呈したが、今にして思えばその積極的推進活動には批判される点もあろう。いずれにせよ、森氏の誠実な人柄と私利私欲を離れた活躍を思えば、氏の遺された記録には粉飾や偽りはないと信じる。それゆえ、ここに公開する資料は他に見られない真実が語られている貴重なものと思う。これが森氏の遺された資料の整理・保存を行った理由である。

不幸にして東日本大震災に伴い福島第一原発の過酷事故が起こり、計り知れぬ被害をもたらした。この事故を境にして、これまでの日本における原子力発電の政策は根本から検討を迫られている。今日までの日本の原子力政策の当否を判断し、また今後の原子力発電の方針を立てるに当たって、この事故原因をつぶさに検証すべきである。そのためにもこの記録を整理し纏めておくことは有意義なことであろう。 私たちの力不足故に不十分なものとはなったが、資料の散逸と破損を最小限に留めるべく今回のような形式で目録の作成と整理を行った。後日、科学史家が日本の原子力史を編纂する上で、これらの資料がお役に立てば幸いである。

この資料が広く利用されるためには書籍の形でまとめた資料『原子力とともに半世紀』では「表題と内容の要旨」に留めざるを得なかったため、元資料を閲覧したいとの要望に応えるためには元資料の画像ファイル化したものをweb上に公開して閲覧の便を図ることが望ましいと考えたがこれを長期的に安定して供給出来るwebsiteを確保することに苦慮してきた。森一久氏は、幸いに湯川先生の弟子であり、また核兵器廃絶と原子力平和利用の協力者でもあった森一久氏の「資料」を、「関連資料」としてここに公開して頂けることになった。 ここに「湯川記念館資料室」の関係者に深く感謝の意を表します。

2016年某月            森一久資料編集会

附記:元資料及びカタログ化されたデータベースは、2022年度より「核融合科学研究所・核融合アーカイブ室」に保管・管理されている。