組織体(国や自治体・企業・機関・団体など)ならびに個人が活動の過程で生み出した記録のうち、その組織体や個人、ならびに社会にとって情報価値や証拠価値があるために、永続的に保存・活用される記録物のことを「アーカイブズ」と言います。
核融合研究を遂行していく過程で、大学や研究所のような組織では、研究計画の記録や各種委員会の議事録などが集積されます。また、研究者の手元にも、メモ、手紙、研究ノート、論文、研究会や学会で配布される資料、書き込みをした書物などが蓄積されます。核融合アーカイブズでは、これら日常的に作成された記録を収集・保存しています。
また、記録・史料を保存して、組織体内部のみならず一般公開に供するための施設またはシステムのことも「アーカイブズ」と呼ばれています。
国や自治体、企業、機関、団体等は、単なる文化施設としてではなく、アカウンタビリティ(社会に対する説明責任)と情報公開の観点から、みずからアーカイブズを設け、みずからの組織記録を保存・公開するのが、民主社会のルールであると言われています。
1955年8月ジュネーブで開かれた第1回原子力平和利用国際会議(通称「ジュネーブ会議」)で、Homi J. Bhabha議長により熱核融合の平和利用という課題が指摘され、1958年9月の第2回会議では、それまで米、英、旧ソ連で秘密裏に行われていた核融合研究が一斉に公開されました。日本では1956年4月、京都大学基礎物理学研究所に天文、物理、電気工学の研究者が集まったのが核融合研究に関する最初の研究会でした。1956年6月には大阪大学において超高温研究会が発足しています。全国の研究者の自主的組織として核融合懇談会が発足したのは1958年2月であり、1961年(昭和36年)には、全国共同利用研究所として名古屋大学にプラズマ研究所が創建されました。
1958.9.1-13
第2回原子力平和利用国際会議の様子
1964.8
第3回原子力平和利用国際会議において展示された各国の核融合実験装置。写真は、OGRAII(ソ連=当時)を見学する参加者。中央はウ・タント国連事務総長(当時)
1964.8
第3回原子力平和利用国際会議(ジュネーブ、1964年)に参加した日本代表